アラサー看護師”バセドウ病”になる

私は東京近郊に住んでいます。 看護師をしていましたが、バセドウ病発症後に退職しました。 バセドウ病発症後、同じ病気で戦っている方のブログで調べることが多く、 働き盛りで病気になるってどういうこと?私のこの症状ってなに? 結婚早々の病気をどう乗り越える?という私の疑問を、みなさんと 共有できたらな…と思い、ブログに綴ってみます。

2回目の休職 2019年3~5月

休職後、副総看護師長の計らいで、セカンドオピニオンという形で主治医とは別の医師の診察も受けました。

1時間に及ぶ診察の中で、橋本病の可能性も否定できないことや、私のように精神症状が強く出てしまう患者もいることを知りました。バセドウ病以外の疾患が隠れていないか調べるため、血液検査をしました。

 

 再受診時に橋本病の可能性は否定されましたが、その後内服薬の調整が続きました。1日中横になって過ごす日も多く、土日に夫や兄弟に誘われてやっと外出するような状況でした。外出しても、職場の人に見られていないか?と気にしたり、明るい照明で立ちくらみが起きたり、エスカレーターに乗っていると急に足がすくんで膝折れしてしまうこともありました。この「エスカレーターで上っているのに、急に自分の乗っている板だけ外れて落ちてしまう」という感覚は、誰に言っても理解されませんでした。具合悪そうにしていると、周囲は「大げさだ。バセドウ病発症時のような症状はないでしょ」と言いました。夫は過度に心配するし、私の姉は同じ看護師なので「病は気から、しっかりしなさい」というような感じで、私自身も自分の本当の体調をうまく周りに伝えきれなかったのかもしれません。

 

 狭い家の中で毎日体の不調と闘いながら洗濯や掃除、料理などをこなしていき、再び休職してから2か月経っても、「調子がいい」と思える日は1日もありませんでした。「このまま仕事に復帰することは難しいのかもしれない」「こんな体の状態じゃ子育てはおろか、妊娠だってできないんじゃないか」とどんどん落ち込んでいくばかりでした。

 私の周りでは妊娠、出産をしている友人も多く、自身が人生の次のステップに進めていないような気がして焦りもあったと思います。また、このころから時折胸がズキズキと痛むことがありました。頻度は月に1,2度ですが、胸痛とともに立ちくらみを起こして、その場に座り込むこともありました。主治医へ相談しましたが、経過観察となっていました。私にも少しは看護師としての知識はあったので、狭心症の可能性は低いことはわかっていました。ネットで調べると、精神的なもので胸痛が起こることがあるということでしたが、心臓神経症というのは検査で他の疾患が否定されてから診断されるものです。私は血液検査(主に甲状腺に関係する項目のみ)以外の検査は何一つしていなかったのです。この胸痛は、約1年後に結果がわかるのでした…

 

 何もかも自暴自棄になりつらい日々でしたが、友人に子どもが生まれて会いに行ったり、親友の妊娠を知ったりすることは、焦りと同時に喜びでもありました。友人はつわりや子育てで大変そうではありましたが、子どもを抱いている姿は私には輝いて見えました。私はやっぱり子どもが好きで、子どもが欲しいんだ…という自分の奥底でずっと変わらずにある思いに気づきました。