アラサー看護師”バセドウ病”になる

私は東京近郊に住んでいます。 看護師をしていましたが、バセドウ病発症後に退職しました。 バセドウ病発症後、同じ病気で戦っている方のブログで調べることが多く、 働き盛りで病気になるってどういうこと?私のこの症状ってなに? 結婚早々の病気をどう乗り越える?という私の疑問を、みなさんと 共有できたらな…と思い、ブログに綴ってみます。

悩み苦しんだ2019年1~2月

 1個前まで生意気にも看護論を語ってしまいましたが、ここからが本当に苦しんだ1年間の始まりだったように思います。

 

 

 復職後も体調不良が続いているのに、医師からは「無理せず働いてもいい」と言われる...この状況を変える解決策を見出せずに1か月ほど悩みました。

 

 母や姉に「1回辞めてもいいんじゃない?ちゃんと働けてないなら、療養に専念することも大事」と言われ、私が仕事を辞めた後の将来のことを夫と話し合いました。

 夫の給与と私の給与は同じような額です。今まで2人で支えていた家計をいきなり1人で家計を支えていくということは容易ではありません。そして私は通院が継続するため、医療費はかさんでいきます。2人の生活を考えたとき、傷病手当がもらえる期間(トータル1年6か月)はそれを利用して、体力回復を目指してほしいというのが夫の気持ちでした。

 ただ、私は「1回仕事を辞めて、自身の目指していた病児保育の道に進むか、体調を整えて母親になるという道に進んでいきたい」と思っていました。

 もう1度休職することは申し訳ないという思いがあったのと、現状で夜勤はできず夜勤手当の分の給与が下がってしまうことは大幅な減給に直結するため、私にとって総合病院で働く理由はなくなっていました。実際、私は復職してから約10万円給料が下がっていたので、自分の体を犠牲にしてまで働く意味を見失っていたんだと思います。また、自分が休日にショッピングモールで買い物している姿を職場の人に見られることは、罪悪感の塊でした。本当はそんなこと思っていないのだろうけど「あの子、病休明けで使い物にならないのに、プライベートはしっかり遊ぶのね」なんて思われていないか…と考えすぎてしまい、外出することも苦痛でした。そんなことが重なり、私の中では休むなら辞めたいという気持ちが強かったです。

 

 なかなか夫には私の気持ちを理解してもらえなかったように思います。私の頭の中はごちゃごちゃになり、絡みに絡み切って固くなったひもをほどく術を、私も夫も見出せなかった…という表現が、なんだかしっくりきます。結局夫との話し合いでは結論が出ず、上司に相談したところ「長い人生のたった1,2年のことなんだから将来のことより、今自分がどうしたいかで結論を出しなさい。仕事を辞めるかどうかは急いで決めなくていい」と言われました。「長い人生って言ったって、いつ死ぬかわかんないじゃん…」とも思いましたが、目の前のことを考えたとき、当時の私はとても働いていられる状況ではありませんでした。上司に「今は仕事を休みたい」と答えました。翌日の定期受診時に主治医に「とても働ける状態ではないので、休職するための診断書を書いてほしい」と伝え、2月下旬から再び休職することになりました。