ようやく自分自身を見つめることができて思うこと
1か月前に投稿した、私のつたない看護論の中で、私なりの学びを述べました。
ブログを書くにあたってこの1か月ちょっと自分の気持ちの振り返りをしていて、少し考え方の変化がありました。
3つのポイントの中で
「患者の気持ちは100%理解できない!」
「でも理解できないから、看護できる部分もある」
「あなたのことを信頼しないと、患者は本音を吐けないですよ!」
と記した中の最初の「患者の気持ちは100%理解できない!」というところです。
医療者や患者を取り巻く周囲に、100%患者の気持ちは伝わらないのだ…
と思っていたのですが、
「いや、患者自身が自分の気持ちに率直に向き合うことができていないのかも…」
と思うようになりました。
私は精神科で、身体表現性障害と診断されました。
自分では前を向いていきたいと思っているのに、体が動かない…のです。
「気持ちの問題だよ」
「気にしすぎ」
「太って体力が落ちてるからだよ」
など、色々言われてきましたが、
正確には心が体を動かすことにストップをかけた状態だったのかなと思います。
ジェットコースターは最初の動力で上まで持ち上げたら、あとは落ちるときの加速で動いていきます。
でも私の体は、最初の動力が不良でなかなか上に押し上がらず、これから落ちると分かっている恐怖にずっと心がすり減らされているような、そんな感覚でした。
前には進めるけど、後ろには下がれない。
上がり切ってしまえば恐怖を叫んだり、風を感じたりして楽しめるはずなのに、そこを上る機械が(体の機能が)不具合を起こしていて、要らぬ心配で傷心しました。
感情に関して言えば、フリーフォールのように急上昇急下降で、意図せずに振り回される感情にすごーく疲れている状態でした。
自分が経験して実感した部分ですが、本当に「あー、今日はもしかしたら少し動けるかも」と思った前向きな思考は1時間後には「だめだ…頭が重くて動けない…」となってしまうのです。
疲れてるときに、これからの人生に関わってくるような重要なことを考えても、答えなんて出ないはずです。
闘病で体調が優れなかったら尚更です。
私は中学生のころから自分の感じたこと、思ったことを日記に書くようにしていたのですが、バセドウ病発症後はなかなか日記を書くことすらできませんでした。
私が、自分の予想外の人生に戸惑い、その人生を受け入れてしっかり向き合えるようになったのは、退職後の本当にここ最近のことです。
仕事を辞めて、家族との付き合い方を見直して、自分の体を第一に考えた生活をしていく中で、ようやく「バセドウ病、身体表現性障害を患った私」を客観視できるようになりました。
そこで、あのときの私の気持ちを言葉にすることができました。
そこから、ブログを書こうと思うようになったのです。
もちろん苦しいときに苦しいって言える人もいるけど、苦しいときに苦しさに気づけない人もいると思います。
それを本人じゃない誰かが言葉にしてくれたり、話を聞いてくれると患者自身が自分の本当の気持ちを見えるようになる部分があるんじゃないかなーと思うのです。
だから、患者の気持ちが100%理解できないんじゃなくて、
「患者も自分の気持ちを100%理解できていないのかもしれない」
と思っていただけると、患者になった私は嬉しいなと思います😅