アラサー看護師”バセドウ病”になる

私は東京近郊に住んでいます。 看護師をしていましたが、バセドウ病発症後に退職しました。 バセドウ病発症後、同じ病気で戦っている方のブログで調べることが多く、 働き盛りで病気になるってどういうこと?私のこの症状ってなに? 結婚早々の病気をどう乗り越える?という私の疑問を、みなさんと 共有できたらな…と思い、ブログに綴ってみます。

バセドウ病との闘い 2018年11月

2018年11月某日よりバセドウ病の治療が始まりました。

 

最初は家のことが何もできないため、フルタイムで仕事をしている夫の家事負担が増加し、1週間ほど実家へ帰って療養していました。実家では掃除や食事作りなどできる範囲の家事をしていましたが、ほとんど寝ていることが多かったです。病気見舞いを言い訳に、しゃぶしゃぶ食べ放題、うなぎ、焼き肉などたくさんごちそうにもなりました😉

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2週間程度で動悸は落ち着きました。しかし、洗濯物を洗濯機へ入れる、干す、取り込む、たたむ、食器を洗う、食事を作る、掃除機をかけるなど家事動作の1つ1つが倦怠感や頭痛を誘発してしまい、家事をすることは苦痛そのものでした😱

ちょうどその時期、夫の仕事が忙しくなり、残業も多く「できるときに家事をしてくれればいいから」と、夫自身が家事を全部担う余裕はありませんでした。

私自身も、1月に新婚旅行を控えていたのと、妊活をしようと思っていたこともあり、体力を落としたくない、すぐに仕事に復帰したいという思いも強く、苦痛を我慢して家事をやっていました。

 

しかし、甲状腺治療薬の副作用が現れやすい2か月間は2週に1回受診をしていて、新婚旅行の時期にギリギリ重なってしまうため旅行はキャンセルしました。電話でキャンセルを伝えたときの無念さと言ったら😭、今でも胸が苦しくなります。また、バセドウ病急性期での妊娠は流産の可能性が高く、内服による胎児への影響もあり、妊活もすぐにはできないとわかったため、「頑張っても報われない」というこの状況に悲嘆し、だんだんと抑うつ状態になっていきました。そのときの私は、自分の思い描いていた夢が泡のように一瞬で消えていった気分でした。「どうして私が?」「これからもっと幸せになるはずだったのに…」と、当時は現実を受け入れることは難しく、その後に受け入れることができるようになるまで、もっともっと時間がかかりました。

 

妻がこんな状態のとき、夫ならしっかりどっしり妻を支えるべき!😠とは思いますが、自分の大切な家族が病に侵されていると知ったとき、夫はおそらく私以上にショックを受けたのだと思います。なにせ私はバセドウ病と確定した日、頭が真っ白でただ泣くことしかできなかったですから。当時、夫は努めて明るくしようとはしていましたが、私には返ってそのことがつらかったです。だって私、今までの体じゃないから常に体がだる重い状態だったんですもん。でも自身の辛さを夫にうまく伝えることができず、言い争いになることもありました。