アラサー看護師”バセドウ病”になる

私は東京近郊に住んでいます。 看護師をしていましたが、バセドウ病発症後に退職しました。 バセドウ病発症後、同じ病気で戦っている方のブログで調べることが多く、 働き盛りで病気になるってどういうこと?私のこの症状ってなに? 結婚早々の病気をどう乗り越える?という私の疑問を、みなさんと 共有できたらな…と思い、ブログに綴ってみます。

つたない私の看護観 Part4

「あなたのことを信頼しないと、患者は本音を吐けないですよ!」

これは一つ目と二つ目の総括の部分です。患者の気持ちは100%を理解することができないということを念頭に置きつつ、その人に合った看護の方法を考えていくことが大切かな、と思っています。なぜなら人生のターニングポイントを、ともに寄り添う第三者としてサポートすることは、看護の業務だと思うからです。そのためには、患者の本音を知らないと「〇〇さんの看護」にはなりません。

 

もし自分が大きな病気の告知をされているときに、後ろでヒソヒソ話されていたらどういう気持ちだろう、相談をしても的を得た回答が返ってこなかったらどういう気持ちになるだろう、、、と想像してみてほしいのです。少なくとも私は、やるせない気持ちになりました。「あー、もうこの人に話しても何にも解決されないのなら、言うのをやめよう」と、心のシャッターを閉じました。

 

実は私、患者さんに何度かクレームを受けたことがあります。自分としては医療処置として正しいことをやったのに…と思っていたのですが、そのクレームの根幹の部分は同じでした。「あなたのこと信じてたのに、裏切られた」ということです。最初どんなに一生懸命対応しても、少し気を抜いてミスが起きると「信じて自分の体を預けたのに…」という気持ちになるのです。看護師の自分としては、そんな些細なことで責められたらたまったもんじゃないよーと思ってしまっていました…

今なら心から謝罪できるのに、あのときちゃんと反省できなかったな…と後悔してしまいます。

 

 

「患者に信頼される医療者」の答えは明確で、自分がやられて嫌なことをしない人です。医療者だとどうしても「だって今の重症度ではあなたのほうが低いし」とか「あなたは命に関わらないのだから」とか「同業者なんだから忙しいのわかるよね?」なんて、そんな邪悪な気持ちが生まれます。でも、自分がひどい高熱で夜も眠れないまま診察に行ったとき、「あの棚にある問診票を記入して、熱を測ってここに持ってきてください」と事務的な対応をされたら、悲しくなりませんか?もしそこで、「だいぶつらそうですね、座って話しましょうか。この問診票を書いていただけますか。書きながらでいいので、体温も測ってください。また伺いますね」なんて言われたら、少しホッとしませんか?

 

実際に私は、主治医とは別の医師(入職時からお世話になっている医師)に病気になるまでの経過を話したとき「頑張りすぎたんだね。それは大変なことだったね。誰でも心が参ってしまうよ」と言われて、「あー、やっとわかってくれる人がいた」と思いその時点で涙腺崩壊直前でした。そこで、自分の心の声を素直に言葉にできたんじゃないか、いや自分の秘めていた心の声をようやく言葉として表すことができたんじゃないか、と思うのです。実際にその医師の診察で、私は退職の意思を固めました。

 

患者さんの信頼を得て、患者さんの心の声を聴いてくれたら、患者としたらどんなに心が楽になるだろうか。本音を話すことで、実は患者自身も自分と向き合って、少しずつ病気の壁を乗り越えていけているように、私は思うのです。

 

患者も十人十色で、医療者も十人十色です。「この人評判が良いんだよね」という人でも、その人と相性が合わないという人もいるのです。これはあくまで私の看護観なので、「ふーん、あなたはそういう考え方をするのね」と流していただけると幸いです。