アラサー看護師”バセドウ病”になる

私は東京近郊に住んでいます。 看護師をしていましたが、バセドウ病発症後に退職しました。 バセドウ病発症後、同じ病気で戦っている方のブログで調べることが多く、 働き盛りで病気になるってどういうこと?私のこの症状ってなに? 結婚早々の病気をどう乗り越える?という私の疑問を、みなさんと 共有できたらな…と思い、ブログに綴ってみます。

ホントに伝えていいの?と思いながら

心の中でぐるぐる巡って、こういう場で発信することがホントにいいのか悩みながら、でも、発信しようと思ったこと…

 

私が今まで生きてきて、闘病してきて、それを振り返って思ったこと…

 

 

人の気持ちは言葉にしなければ伝わらない

 

のだけれど、人は本当に苦しいとき、本当に辛いとき、もしかしたら「自分は苦しんでいるんだ」と気づけないのかもしれない。

「自分がなんとかセルフコントロールしなきゃ」と思って、本当の感情に気づかないのかもしれない。

 

森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」という曲の中で、最初に

〜生きてることが辛いなら

いっそ小さく死ねばいい

恋人と親は悲しむが

三日と経てば元通り〜

という歌詞がある。

夫は実父を7年前に病で亡くし、私と知り合った4年前の時点で乗り越えられていなかった。

でも、社会は夫の実父が築いた功績なんて、忘れてしまっていることを夫や夫の家族を通して知った。

 

私は今まで幾度となく「生きてることがつらくなった」。

この闘病中、「何も前に進めず1日が過ぎてしまったこと」「苦しみの終わりが見えない明日が、眠りについて目覚めたあとにまた始まること」が苦しくて、夜眠るときに何度となく涙が溢れた。

 

今思えば「生きてることがつらかった」のに、自分自身がそれを見て見ぬふりをしていた。「他にも苦しんでいる人がいるのに、こんなことで悩む自分が甘ったれだ」と思った。

 

でも…

夫はいつでも私を必要として、私のありのままの全てを愛してくれていて、私はこの人のために生きなきゃと思った。

この人を再び苦しみの底に落としたくないと思った。

 

もし大切に思う人が苦しんでいるなら、その人に「私にはあなたが必要だよ。あなたのいない世界なんて私は耐えられないよ」と伝えて、そばにいてほしい。

そして「あなたは今苦しんでいる」と気付かせてほしい。

私は信頼する医師に「あなたの体が限界だと言っている」と言われて、目が覚めた。

だから今、生きている。

大げさかもしれないけど、私は周囲の支えで今生きることができている。

私を必要としてくれる人が、私のことを尊重してくれていると気づけたから。

たくさんの暗い雲の向こうに明かりはある。

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あなたが辛いときに、無理して笑わないでほしい、苦しい気持ちをなり振り構わず感情に出してほしい。

そして、周囲は大切な人に「私はあなたが必要だよ」と根気強く伝え続けてほしい。

 

そんなことを思うと、やるせなくて切なくて、深い喪失感が私の心を掻き乱す。

 

感情のままに、私の心の内を公共に流すのは、正直迷いだらけだけど、沈黙ほど無責任なものはないと思うから。

ヒトはいつか必ず死ぬのだから、今はその苦しみを感じて、人の傷みに気づいてほしい。

ヒトはいつか必ず死ぬのだから、誰かの言動で命が奪われないでほしい。

ヒトはいつか必ず死ぬのだから、儚い命をどうか最期まで生き抜いてほしい。 

 

心の中で好きだった人の命が次々に奪われていくこの社会が、とても辛い。

私にできることってなんなのだろう。