アラサー看護師”バセドウ病”になる

私は東京近郊に住んでいます。 看護師をしていましたが、バセドウ病発症後に退職しました。 バセドウ病発症後、同じ病気で戦っている方のブログで調べることが多く、 働き盛りで病気になるってどういうこと?私のこの症状ってなに? 結婚早々の病気をどう乗り越える?という私の疑問を、みなさんと 共有できたらな…と思い、ブログに綴ってみます。

疲労困憊 2019年夏

 

 夏に近づき気温が高い日が多くなったり、梅雨に入り雨が続くようになると状況は元通りになりました。

朝起きられない、1日中頭が重い、午後になると動けなくなる、という状態です。

 それによって、洗濯はなんとか頑張っていたのですが、夕食を作ることや家の掃除が疎かになりました。これを傍から見たら「家にいて時間があるはずなのに、怠けている、家にいるから余計に鬱っぽくなっている」と思われていたようです。春先は体調が少し戻りつつあったので、尚更そう思ったのでしょう。

 

 そんな矢先、私の祖母が腰椎の圧迫骨折で動けなくなりました。私は4人兄弟の4番目で、上2人の姉には子供がいます。夏休み中は合わせて3人の小学生(1年、4年、6年)の面倒を私の母が見る予定が、90歳になる祖母の介護をすることになり、急きょ私が実家へ派遣されました。私がバセドウ病と判明したのと同時期に祖父母も認知症と診断されていました。

 当初4日の滞在予定が祖母の受診、検査、入院で10日になり、その間に3人の子育てもありました。お盆は子供1人を預かり自宅へ戻り、夫と義母にも助けてもらいながら小学1年生の宿題を手伝いました。

 しかし、祖母の介護保険申請のため、もう1度実家へ行きました。基本的な手続きは母が行いますが、介護の経験を全く持ってしたことのない母に、介護をするということがどういうことかわかるはずもありません。そのため、私がどんなサービスが必要かの相談や、祖父母の認定調査の付き添いもしました。

 そこで明るみに出たのは祖母がいない中、祖父が1人で生活できないという実態でした。今まで母が献身的に姪や甥の面倒を見ていたのが、祖父の介護のためできなくなったのです。実家で姪や甥の子育てをしながら、祖父母の介護の相談にのり、私は疲労困憊でした。

 

 今振り返ると、ただでさえ体力が落ちて夏バテもしていた中で、よく頑張ったなと思います。このときはまだ「自分が無理をしている」という自覚はなかったので、無理しているから体力が戻っていかないとは思わずに、動いているのに体力が戻ってないことに、ただただ焦りが募りました。