アラサー看護師”バセドウ病”になる

私は東京近郊に住んでいます。 看護師をしていましたが、バセドウ病発症後に退職しました。 バセドウ病発症後、同じ病気で戦っている方のブログで調べることが多く、 働き盛りで病気になるってどういうこと?私のこの症状ってなに? 結婚早々の病気をどう乗り越える?という私の疑問を、みなさんと 共有できたらな…と思い、ブログに綴ってみます。

つたない私の看護観 Part3

「でも理解できないから、看護できる部分もある」

 

  1つ目と真逆なこと言ってんじゃん!となるでしょう。しかし、私がリハビリ勤務での2回目の復帰の際、今までの自分とは違う感じ方をしていることに気づきました。余命幾ばくもない患者に接するとき、心肺停止で心臓マッサージされながら運ばれた患者の死亡確認のときなど、患者や家族の大きなターニングポイントとなる瞬間を共有するときに胸が苦しくて、感情があふれ出しそうになるのです。患者や残された家族の気持ちが手に取るようにわかると、冷静な判断ができなくなります。業務に支障をきたすこともあります。

もちろん、「一緒になって泣いてくれたらすっきりした」ということもあるので、感情的になるのがいけないとは思いません。

 

 

「でも理解できないから、看護できる部分もある」という例えとして、採血やワクチン接種で針を刺すことがあげられます。看護師にとって日常茶飯事のことです。でもそこで、「私痛いの嫌いなんだよな、あー痛そう」と思いながら刺すと、失敗する確率は上がります。思い切って「少しちくっとしますよ」とサッと刺した💉ほうが案外1発で入ったり、患者側からすると「あっという間に終わったな」と感じます。業務として流れで処置されたほうが、痛くないなんてこともあるのです。

 

 患者の気持ちの100%を理解できないから、冷静な対応ができることもあります。「患者の病気と向き合うときは話を聞いてほしいけど、痛いことや処置をするときは感情に流されないでほしい」なんて、患者になった私は傲慢なことを思ってしまうのです。